心のままに

「ピンチも悩みも、人生のエンターテイメント。どうやって解決して行くのか考えたらおもしろい」とのこと。さて……

偶然

志賀直哉の小説『盲亀浮木』の内容そのもののような偶然は、何度かある。そもそも、今、自分がこの世に存在していることが偶然の産物なのだ……と思いながら、何度かあった偶然を振り返ってみる。


で、旅行中に外国の町中でばったり知人に会ったこととか考えてみても、その他の事だって、すべてが偶然の積み重ねだから、特別に驚くことでもないんだわ、と思い知らされる。偶然の出来事が次々と起こって人生がつくられている、に過ぎない。ただ、それが過去の記憶している出来事と関係していたら、特に驚くわけだ。


この偶然は確率何十万分の一で云々、と言っている人よ(志賀直哉も)、「この偶然」じゃなくても、「アレもコレも偶然」なのですから、そこんとこ勘違いなきように。

コノヤロー



年取ると切れやすくなる人が多いそうだ。感情の中枢が衰えてくるかららしい。スーパーのレジに並んでいて、店員に「早くせんか!」と怒鳴る年寄り。それを見ていて、「うるさい! 静かに並んどけ!」と怒鳴る年寄り……。
年取って涙もろくなったという人も、実はこのナニが衰えてきたからだと言う。


ところで、このところ、電化製品が次々と壊れる。朝、納豆をつくろうと(自家製。結局は電気器具がつくる。市販の納豆が15倍くらいに増える算段)、ゆでた大豆と市販の納豆を混ぜ、器具にセットした途端、ピッピッと聞いたことの無い音がした後、全く動かず……。 コノヤロー、お前もか! 許さん、叩ッ壊してやる!

思い上がり

文章を書くカルチャーセンターの教室で、ある人が、孫が幼くして小児がんで亡くなった出来事を小説にして合評に出した。その教室は、言葉の使い方や文の構成などを学ぶところ。一人の人が、小説の内容が事実だと聞かされて、泣き出し、意見が言えなくなった。そして、内容はさて置き、作品についてシビアに意見を言う人を、感情が無い人みたいに批判する。


亡くなった話を知って、かわいそうだと思う気持ちは分かる。しかし、よく考えたら彼女だって、感情が無いような怖いことを平気でやっているのだ。……ランチでビーフステーキを食べていた。それが? と言うのか。人間が、肉を食べるために、生きている牛を無理やり殺している場面を想像できないのか。平気でその肉を食べるのは、自分が殺したも同然だ。


牛のことに限らない。皆、どこかで感情をコントロールしながら生きている。自分だけ豊かな感情を持っているなんてのは、無知の思い上がり。彼女、血の流れる生肉を頬張っていて、よく言うよ。