心のままに

「ピンチも悩みも、人生のエンターテイメント。どうやって解決して行くのか考えたらおもしろい」とのこと。さて……

昔には戻れないのに

犬が寿命を迎える時がきてもあわてないようにと、準備していた〃ヒツギ〃です。
紙でできていて、とても頑丈。


もちろん、必要になるその日までは、折りたたんでペチャンコにして、しまって
いました。けれど、〃その日〃に箱に組み立ててから、実は、中に入れるのに
苦労しました。家族が亡くなっていて家には私しかいなかったわけですし、
体の大きい犬ですから。


そんなことを思い出しても、昔には戻れないのに……、あ~あ。

お化けでもいいから

ここ数日悩み続け、すっかり疲れてしまいました。心が疲れるなんて、ずいぶん久しぶりの経験かもしれません。自分自身を見直すよい機会とは言え、ぐったりです。お陰で、自分は強くない人間なのだと、よく分かりました。


ぼんやりしている時に、一年前に逝った大型犬を思い出しました。夫の後を追うように猫も逝き、犬とふたり(?)で二年ほど暮らしたのです。とりあえずあの時期に戻りたい、
と、切に思います。

写真は、その犬の、死ぬ半年くらい前です。車に乗るのは好きで、乗ると、まったりしていました。この半年後のある日、朝の散歩と食事はそれまでと同じように普通だったのですが、その日の夕方、日課の散歩に誘っても行かないし、食事が先なのかと出してみても全く食べないのです。


それから26日目に死ぬまで、水だけでした。食べなくなって数日すると、お腹の中を掃除するかのようにすべてを流し出し(文字通り、水で流すように出し切った。もちろん外で)、その後はオシッコだけでした。ほとんど(家の中で)寝ていましたが、オシッコの時は、自分で立ち上がって玄関ドアのところへ行くので(オシッコだと)察しがつき、ドアを開けてやり、一緒に庭に出ました。


最後の頃は、ふらつく体を時々私が支えましたけれど、死ぬ前日まで外へ出てオシッコしていました。だから、オシメも要りませんでした。


大きな犬は最後が大変だよ、と周りから(獣医からも)言われ、覚悟していましたが、全くそんなことはありませんでした。老衰(あの犬種の寿命。十四歳)だったのに、まるで、死ぬと決めて実行しているような、潔い最期でした。私が引っ越しを段取りしていたので邪魔にならないようにと考えたのでは、と思ったくらいです。


それまでに病気もしませんでした。獣医からは、この犬種で体に不具合が出ないのは、すごいラッキー(そんな犬を引き取って育てたことが)だったね、と言われました。でも、私は、食事などにはとても気を付けていましたけれど。


化けてでもいい、出て来て……。

居ても立っても……

悲しい感情(怒りの感情も、そうだけど)を強く持つと、心を病んでしまうから、
人は無意識に、共感できる範囲をせばめているらしい。考えないようにするとかして。


範囲を広げると、例えば、遠い国の小さな子供たちが飢えている状況を知って、
居ても立ってもいられず、どうすることもできない自分を責めてしまうような
状態になってしまう。


そのことは分かっていたので、悲しい事実を遠ざけるようにしていたのに、近頃は、
亡くなった家族(犬も猫も含めて)との色々な場面を思い出し、過去に戻れないのに
居ても立ってもいられない……。